sander's blog

まーなんだ、とりあえず作ってみたよ

桂吉坊がきく 藝

桂吉坊がきく 藝

芸事の諸先輩達にお話を聞きに行く本。論座で連載されていたものをまとめたもの。
喜劇・軽演劇の代表という事で伊東四朗氏との話の中で共演した役者の三木のり平氏の話題から

吉坊 それと、のり平さんは歌舞伎ネタのコントにしても、もともとの素養があったうえでパロディーにされていますね。
伊東 もとのできる人がやるのが本当ですね。僕なんかは、もとができているかと言われればできていないけれども、やはりある程度もとを知っていたほうがいいですね。たとえば、僕は歌舞伎を若いころにさんざん見ていたから、今、歌舞伎ものがきても、そんなには驚かないんですよ。これはああだったなとか、そういう記憶があるから、やはりいろいろなものを見ておくべきでしょうね。
 僕がよかったのは、この世界に入ろうと思って見てなかったということ。入ろうと思って見ると、勉強のために行くでしょう。勉強のために見るのは、楽しくないし、覚えないんだよね。楽しんで見たものは覚えているんですよ。僕は今でも、「白浪五人男」の勢ぞろいのツラネを言えますから。やはり楽しんで見たものはどこかに残るんですよ。
吉坊 昔は、役者さんとお客さんで共有しているものも大きかったのではないでしょうか。
伊東 本当はお客さんのことを言ったらいけないんだけれども、昔のお客さんはすごかったというのはそういうことですよ。今はパロディーはやれないでしょう。もとを知らないからできないんです。「ハムレット」にしても「忠臣蔵」にしても、そういうパロディーを昔よくやりました。なぜできたかというと、客が知っているから。演者よりも知っているから。それを馬鹿みたいに崩すから、お客さんは馬鹿野郎と言って笑うわけです。
 今はもとが分からないから、何がおかしいのか、やっても分からない。パロディーというのは、本来高尚な笑いなんですけど、今できなくなっている世の中というのは、ちょっと落ちていますね。本来お客さんのほうが、上にいないとだめなの、笑いは。お客さんがやっているほうより下にいたんじゃ笑えませんよ。へえ、そういうものですか、じゃだめなんだよね。

確かに元ネタが分からないと、パロディーは成立しませんわな。その場の雰囲気で笑っても、演っている方の意図している笑いではない。
via 花王名人劇場「雲の上団五郎一座」は僕も見てました - 昨日の風はどんなのだっけ?